ほんの数年前まで本当に元気に活動されていたのに、突然難病に侵されて以来見る影もないほど病み衰えてしまっていたアントニオ猪木さん。
YouTubeで、体重がゴッソリ落ちて話すこともままならない姿を初めて目の当たりにした時は、もう無理だ、最期の時はすぐそこまで来ている、と思って悔しくて辛くて泣いた。
だけど、”燃える闘魂” アントニオ猪木は、そこから見違えるほど回復してみせた。
表情も顔色も良くなって、リハビリに励み美味しそうに好物を食べる姿に、猪木は本当にすごい!と感動した。
でもそれは、彼の最後の戦いを見せてくれたものだったのだ。
2022年10月1日、アントニオ猪木がこの世を去った。
一時期快活さを取り戻したかに見えたが、また衰えてきたのがはっきりと見て取れるようになっていった。
もう回復することはないだろう。
そう思った。
それでも心のどこかで、猪木なら奇跡を起こすんじゃないかとも思っていた。
そんな風に思わせてくれる人だった。
彼の現役時代を知らない人は、マフラーをして闘魂注入とビンタを張る、元プロレスラーで元国会議員という認識の人も多かったと思うし、プロレスファンでも後からビデオや動画でしか試合を見たことがなくて、あらゆる媒体で見聞きしたことしか知らない人たちは、リアルタイムで見てきたファンが彼と彼の時代を絶賛し、現代と比べられて「あの頃の方が」という人たちに対して、自分が支持している選手や時代をけなされているような気がして、「思い出補正」「過去厨」「イタい古参」などと言ったり、猪木さんの評判をいろいろ鵜呑みにして揶揄したり、試合を貶したり過大評価だと言ってみたり人達もいる。
どっちがどうというのはそもそもナンセンスなんだけど、一つだけ言いたいのは、リアルタイムで見ていたファンの感想は本物だし、その時代に見られなかった人たちはどう反論したところで、絶対に理解できないということ。
その時のプロレス界の流れ、時代背景、空気感、人間関係、いろんな事を全て一度に見ていたのと、断片的に後追いで見聞きしたのとでは雲泥の差がある。
これはプロレスに限ったことじゃないけど、後追いで知ったファンは当時をリアルタイムで知ってるファンにはなれないし、貶す資格なんて微塵もない。
当時の新日本プロレスは殺伐としていた、とよく言うけど、その殺伐の意味は決してギスギスとした言い合いをしたり、ただただ相手を徹底的に潰すというだけの安い戦いなんかじゃなかった。
あの熱狂、興奮、演出もリアルもごちゃまぜになったスリリングなリングの内外の人間模様は、今の一部に見られる安く作られた薄っぺらいドラマ仕立てのプロレスとは全然違う。
元来日本のプロレスは全日本もそうだったけど、アメリカみたいにハッキリとエンターテインメント面を前面に打ち出すような、ラスベガスのショーみたいなものとは一線を画していた。
ラスベガスのショーは超一流。
それはそれで日本のプロレスとは違う面白さにあふれているし、どっちが良いというものではない。
とにかく、生前はアントニオ猪木のことをとやかくいう人は大勢いたが、当時を知ってるファンなら好きに言ってもいいけど、知らない浅いファンが知ったような口ぶりで彼のことをとやかく言うのは我慢ならない。
武藤敬司でさえ、アントニオ猪木が東京ドームで引退した時のような熱狂は再現できないだろう。
むしろ観客動員も含め、遠く及ばないと思う。
たとえコロナがなかったとしても。
魔王のように鬼気迫る姿は、まるで全身から陽炎が立つような熱気に包まれていた。
一挙手一投足が絵になり、相手に立ち向かう姿が生み出す熱狂は桁外れだった。
あの興奮と熱気はもう二度と帰ってこない。
猪木さん、本当にお疲れさまでした。
ありがとうございました。
どうか今度こそ、ゆっくりお休み下さい。
合掌